歴史
上杉氏のゆかり、建明寺の由緒
建明寺の開闢(かいびゃく)
~上杉憲政公の越後落ちと開山・秀翁龍樹大和尚(しゅうおう りゅうじゅ だいおしょう) ~
建明寺は戦国時代の天文20年(1551年)、時の関東管領上杉憲政(のりまさ)公が開基となり、同行していた秀翁龍樹大和尚が開山したと伝えられています。
平井城(現群馬県藤岡市)を拠点に隆盛を誇った上杉氏でしたが、憲政公の代に至って、北条氏綱との戦いに破れ、
越後の長尾景虎(ながお かげとら) 後の上杉謙信(うえすぎけんしん)を頼って逃げ落ちることとなりました。
天文20年(1551年)この「越後落ち」の途上、
谷川岳を越える清水峠を前にした粟沢の地(現みなかみ町)において、憲政公は護持してきた守り本尊、伽羅陀仙(からだせん)延命地蔵を、高齢のためこの地に留まることとなった龍樹和尚に託します。
ひとり残った和尚は像を安置して一庵を開き、ここに建明寺開山となりました。お釈迦様をご本尊とするのが通常の曹洞宗寺院において、建明寺が地蔵菩薩をご本尊とするのはこのためです。
その後、天文22年(1553年)庵は野火に遭い焼失。しかし、同年、湯原・上の平、元寺の地に庵は再建されました。
その二年後、龍樹和尚は遷化(せんげ)されました。
開山 秀翁龍樹大和尚像
建明寺の発展 ~伝法開山、海翁文寿大和尚と水上温泉の発見~
開山秀翁竜樹大和尚の遷化後、建明寺は現みなかみ町下牧玉泉寺の第9世住職であった海翁文寿大和尚(かいおうぶんじゅだいおしょう)の兼務となりました。
永禄元年(1558年)、建明寺の行く末の考慮から文寿和尚が現在地に本堂を建立し、伝法開山となりました。
また、文寿和尚は水上温泉の発見者としても名を残しています。
利根川辺りの洞窟から湯煙が立つのを発見した和尚は、経文を記した小石を粘土に混ぜ合わせた頑丈な湯舟を発案しました。 この温泉の効用に遠方からも湯治客が訪れ、水上温泉観光の礎となったのです。
以来460余年、建明寺は水上の地に密着しつつ、みなかみ町のみならず遠隔地の檀信徒各位の協力により、現在なお発展を遂げています。
伝法開山 海翁文寿大和尚像